卒業生インタビュー

中村至男×秋山具義 1989年度卒 同期対談 【後編】

日藝デザイン学科在学中より互いに刺激し合い、活躍されてきた、アートディレクター中村至男さんと、アートディレクター秋山具義さんの対談です。
当時の日藝デザイン学科の様子や広告デザイン、いまおふたりがやられている事、現代のデザイン教育についてなど、幅広くお聞かせいただきました。
前編後編の2本立てで、今回は後編をお送りします。

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デザインをするにもいろいろな入り口がある
美術という文脈だけではデザインを語れない時代

秋山:日藝に入学して良かったこと、ダメだったことってなんだろうね。
良かったのは、一般的な美大と違っていろいろなジャンルの人たちが学内にいたことかな。僕らのころは、ずっと江古田キャンパスだったんですよ。キャンパスは都会にすぐに出ることができる場所にあった方がいいと思うから、そこは恵まれていたと思う。

中村:そうだね。いろいろな学科の友達ができた。今でも続いてる友達もいっぱいいますよ。学生時代に美術関係でない友達ができるのは、社会に出たときのことを考えても、なにか目に見えない効果があるだろうと思います。

秋山:今は、デザインだけじゃなくて音楽のこともわからなくてはいけないし、プログラミングもわからなくてはいけない。だから、さまざまなことを学べるのも日藝のいいところなのかもしれない。デザイン学科だけでなく、映画学科があったり放送学科があったりするわけだから、そこをもっとうまく使うべきだと思いますね。

中村:デザイナーといっても、プログラミングができる人や工学部の人とかが、理系的な思考を入り口にしてさまざまな表現をするようになってきている。美術っていう文脈だけじゃ、デザインを語れなくなってきてますよね。

デザインをするにもいろいろな入り口がある<br />美術という文脈だけではデザインを語れない時代

秋山:美大ではなく一般大学で勉強した人が、デザイン分野で活躍しているっていうのも多いよね。

中村:うん。

秋山:それだけライバルが多いともいえる。昔に比べると、世の中のクリエイティブに対する価値観がすごく変わってきているから。本当におもしろいものをつくれば、認められる時代。でも、美大はいまだに美大を引きずっているじゃない? これからは新しい教育や、新しい先生が入って、おもしろいものをつくる人を見出すとか、そういうことが必要かもしれない。
今って学生でも、ネットやSNSを活用すれば、新しいこと、おもしろいことをしている人が目に入ってくるでしょ。そういう時代だからこそ、日藝のデザイン学科にはこういう人がいるんだっていうのを見たいなと思いますよ。

中村:そうだね。4、5年前かな、ある美大の学園祭でイラスト部の展示を見たときに、何人かとてもうまい子がいた。それで聞いてみたら名刺をくれたんだけど、イラストのコミュニケーションサイトですごく有名な人だった。でも、その活動自体を先生たちは受け止めきれていないというか、先生たちもわかってないんですよ。知ってる人たちのなかではすごく有名なんだけれど。まさに秋山が言ったような状況が今、現実に起きてるんだよね。大学生であっても中高生であっても、ネットを利用すれば発表する場所、アピールする場所があることは、羨ましいなって思います。

秋山:だから、大学在学中の4年間をもっと集中して、もっと濃く過ごしてほしいなとは思います。ただ課題をこなして過ごすだけの美大の4年って薄いんですよね。僕たちが学校の外に目をむけていたのには、そういう意味もあったと思う。

中村:だって、大学でのことをあまり覚えてない。

秋山:覚えてない、ほんとに。中村が烏口できなくてすごく太い線を引いてたのとか、器を描いているのにザルにしか見えないとか、そういうのしか覚えていない。

中村:(笑)

「うまくいく方法を繰り返さないように気をつけている(中村)」
「誰かと一緒にやるうえでコミュニケーションは大事にしてる(秋山)」

中村:(最近どんなことに取り組んでいますか?という質問を受けて)ここ数年の間に絵本を2冊出版しました。今年も1、2冊出します。最近は、子どもたちとのコミュニケーションがすごくおもしろくって。子どもは、本当におもしろくないとまったく相手にしてくれないんです。笑ってもくれない。でも、きちんと伝わると反応してくれて、大人とのコミュニケーションとは違う醍醐味があります。だから、しばらくは絵本を何冊か出そうと思ってますね。

「うまくいく方法を繰り返さないように気をつけている(中村)」<br />「誰かと一緒にやるうえでコミュニケーションは大事にしてる(秋山)」

秋山:僕は基本的に広告やパッケージデザインが好きです。でも来るものを拒まないスタイルですから。2015年に中目黒で「マルテ」というイタリアンバルを何人かと共同で始めました。僕としては、ただ店を経営しているというよりも、それ自体が自分の作品だと思ってやっています。そういうことも含めて、これからもいろいろなことをやっていきたいですね。昔、糸井重里さんが「自分から発信する場をつくらなくてはいけない」ということをおっしゃって、その後「ほぼ日」を立ち上げたみたいに、僕も自分から何かをつくったり、発信することを少しずつやろうかなと思ってます。

中村:秋山は、常に興味が多様で広い。それがこの歳になった今でもあるんだなぁって話を聞いて感じましたね。
秋山とは日藝にいたときも、なんだかんだと2人でいることが多かったんですけど、性格はまったく逆なんです。僕は内向きなんですよ。社交的でないから、日常的に画面に向かっているその作業の延長線で仕事をしています。でも、長い間仕事をしていると、うまくいく方法みたいなものをいっぱい身につけてしまうんです。それをなるべく繰り返さないように気をつけていますね。こうすればうまくいくみたいな感じで手を動かさず、表現においてはヒヤヒヤしながら、些細なことでも試していきたいと思っています。
秋山にはいつも感心します。レストランを経営してるって聞いたときは、どれだけエネルギーあるんだろう、この人はって。

秋山:たぶん、中村は1人でつくれる仕事が多いでしょ。でも、俺は1人でつくることができる仕事はほとんどなくて、今は誰かと一緒にやらないと何にもできないっていう感じがある。だから、コミュニケーションを大事にしてるのかもね。

中村:寂しがり屋。

秋山:そうそう。人との繋がりとかを大事にしている感じはあるね。それは、別に仕事にかかわらず、会食や食事に行くのであっても、仕事関係の人だからいやいや行くというのはしないようにしてる。仕事に関係してもしなくても、その人たちと食事をすると楽しいかどうかが大切。意外とそういうところから仕事が生まれてきたりするから。今は、そこを一番考えているかな。

中村:まあ、本当に対極的な2人ですね。

秋山:誰しも持っている、人の表現に対するジェラシーみたいなものは、僕もとくに20代のころはすごくあったから。対極と言っても、そういう面ではみんな一緒だと思うんですけれどね。

(中略)

中村:ところで、そんなにお酒は飲まないでしょ?

秋山:結構飲むよ。

中村:そんなに強かったっけ?

秋山:わりと強いんだよ。学生のときは弱かったよね。電車に乗っても一駅ごとに降りて、ホームにあったゴミ箱に吐いてたもんね。

中村:安い酒飲んでね…。

秋山&中村:(笑)

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中村 至男
中村 至男

卒業後、CBS・ソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)入社。 1997年、中村至男制作室を設立。東京タイプディレクターズクラブ/AGI会員。
主な仕事に、「明和電機」のグラフィックデザイン、PlayStation「I.Q」、雑誌「広告批評」(1999)、日本科学未来館、NHKみんなのうた「テトペッテンソン」、松山市立子規記念博物館、21_21 DESIGN SIGHT「単位展」、銀座メゾンエルメスのウインドウディスプレイ(2017)など。
著書に、絵本『どっとこ どうぶつえん』、『はかせのふしぎなプール』、『たなのうえひこうじょう』(すべて福音館書店)、『7:14』(Creative Language)、『勝手に広告』(佐藤雅彦との共著・マガジンハウス)、「明和電機の広告デザイン」(土佐信道との共著・NTT出版)など。
主な受賞に、ニューヨークADC銀賞、文化庁メディア芸術祭優秀賞、東京ADC賞、東京TDC賞、ボローニャ・ラガッツィ賞優秀賞など。

秋山 具義
秋山 具義

アートディレクター。1966年秋葉原生まれ。1990年日本大学芸術学部卒業。同年、株式会社I&S(現I&S BBDO)入社。1999年デイリーフレッシュ設立。主な仕事は広告キャンペーン、パッケージ、写真集、CDジャケット、キャラクターデザインなど。著書に「ファストアイデア25」「秋山具義の#ナットウフ朝食」がある。
「日本パッケージデザイン大賞2017」にて「マルちゃん正麺カップ」が金賞受賞。